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March 31, 2009

ワルキューレ

200810290037_b.jpg 新国立劇場でワーグナーの「ワルキューレ」のゲネプロを観る。先日拝見した「ラインの黄金」に引き続き、楽劇「ニーベルングの指輪」の内の第一夜。やはりあのコッポラ「地獄の黙示録」でおなじみの楽曲が流れると血湧き肉踊る。これ、本当におすすめです。ただしチケットはすでに完売らしい。

投稿者 isao tsuge : 10:14 PM

March 30, 2009

宝。

知り合いの神父様が言った。「宝とは、自分の欠けているものを得ること」。うなった。

投稿者 isao tsuge : 10:19 PM

March 29, 2009

赤のれん

image.jpg もう引っ越してしまったけれど西麻布に十年以上住んでいた。かなり気に入っていた。なにが気に入っていたかと言えば、深夜までおいしい食事処に事欠かない。その中でも週に三回は通っていたのが「赤のれん」。今は渋谷区住まいなのでちょっと足を伸ばさなければならないけど、たまに行く。東京中においしいラーメン屋さんがあることは承知しているが、僕にとってはここがベスト。味がいいのももちろんだけれど、ふるさとの味みたいなものでいろんな記憶と合体しているということか。その赤のれんが30周年。先日お邪魔した帰り際に記念の「赤のれんスカーフ」をいただいた。タモリ倶楽部Tシャツレベルで嬉しかった。

投稿者 isao tsuge : 12:49 AM

March 27, 2009

GOEMON

090210_goemon.jpg 試写を観る。キャシャーンより面白かった。江口洋介さんが素敵でした。

投稿者 isao tsuge : 09:21 PM

March 24, 2009

驚いた。

f-bb-090324-3308-ns-big.jpg なんだかんだ言ってWBCが気になっていた。とりわけ野球ファンというわけでなくともイチローの偉大さは分かる。そのようなスタープレイヤーが出場しているゲームを偶然目にするとやはり思わずチャンネルを止める。その上WBCには国の威信めいたエッセンスが加わる。対韓国戦などはその最たるもので、韓国が自国の勝利に熱くなる姿を見るほどに冷静でいられる自分を演出しようなどと、誇りとも悔し紛れともつかない感情で過ごした。トーナメントの中で決勝までに5戦するという事体が少々異例だけれども、そういう出来事が因縁というものなのだろう。ともあれ今日の決勝は接戦だった。もう最終回裏で韓国に追いつかれた際にはそのままの流れで負けてしまうのではないかと不吉な気分が脳裏をよぎった。しかし、イチローである。なにはともあれイチローである。あんなに不振だったのに、、イチローである。このWBC優勝は、前回の優勝よりも価値と意義深さを感じる。

投稿者 isao tsuge : 09:42 PM

March 07, 2009

春琴

春琴 サイモン・マクバーニー演出「春琴」を観る。谷崎潤一郎「春琴抄」「陰影礼賛」をジョイントさせた内容で、去年に引き続きの再演。この舞台、本当にこころから素晴らしい!!!!それしか言えません。

投稿者 isao tsuge : 11:14 PM

舞台つづき

数日前、野田さんの「パイパー」を観る。橋爪さんと松さんが素晴らしかった。舞台そのものは、野田さんが次の何かに行こうとしているのだなと感じた。一昨日は蜷川さんの「ムサシ」を観た。これは井上ひさしさんの本が面白く、藤原さんと小栗さんの相性も良かった。ただ少々説教臭さが気にはなった。日が変わった今日は深津さんの「春琴」を観る。これは楽しみだ。 paipr.jpg musashi_black.jpg

投稿者 isao tsuge : 12:28 AM

March 05, 2009

ラインの黄金

bill110.jpg 舞台監督の友人のつてで、オペラ「ラインの黄金」のゲネプロを新国立劇場で観る。音が良かった、ワグネリアンではないが、やはり人の感情を高揚させる力がある。指揮のダン・エッティンガーのまとまりはなにか押し付けがましくないバランスの良い強さがあった。押しの強いワーグナーに調度良く感じた。ヴォータン役のユッカ・ラジライネンも素晴らしい。また特筆すべきは舞台美術の斬新さだ。おすすめ作品です。これの次は「ワルキューレ」が控えている。

投稿者 isao tsuge : 01:35 AM

March 03, 2009

本音

近しい人々や知人の本音や本心というものがどういうものか、よほど洞察力がない限り日常から推し量ることはむずかしい。一方不幸な出来事や喜ばしい出来事があると、ちょっとした態度から簡単にそれが見える場合もある。ある人間に不幸が訪れたことをみて率先して励ます人もあれば、自分にとって利用価値が消えたと踏んで音沙汰なくなる人もいる。あるいはそれまで親しかったのに威光が消えるとみるや巻き込まれまいと遠巻きに眺めるものもいる。陰口まで叩くものもあるかもしれない。これは不幸な出来事の場合ばかりではない。喜ばしい出来事があれば、心から祝福に現れる人もあれば、あやかろうと近づくものもある。あろうことかその幸福は自分によってもたらされたと関連づける人物まであらわれる。それらはまだその幸福を肯定的に受け入れている点で喜ばしいが、それまで近くにいた人間でさえ、その幸福の大きさに気負けして祝福の言葉を口に出せない場合もある。あるいは自分より低くいたと思っていた人間がそうではなかったと認めたくはないという複雑な気分が流れる場合もある。あるいは実に単純な嫉妬の気持ちのために、その幸福そのものがさながら当事者とは無関係のことのように無理矢理思い込もうと努力する人もある。ともあれ不幸や幸福の当事者よりも右往左往する人の様子には、はなはだ呆れるというより意志薄弱を見てとれてそれはそれでおかしい。こうしてみていると、自分の生き方というものをしっかり持った人は、友人が不幸に見舞われた時には真っ先に励まし、幸福に見舞われた時には正しく祝福する。こんな簡単なことなのに、それができる人は意外と少ない。

投稿者 isao tsuge : 04:44 PM

March 02, 2009

恋愛小説家

テレビをつけたら「恋愛小説家」をやっていた。好きな映画だ。ジャック・ニコルソン演じる病的な潔癖性の小説家ではないが、潔癖あるいは感受性の強さゆえに、些細なことも大きなことも等価に心に届き、ついつい言葉に皮肉の衣をまとわせてしまうような主人公の気持ちが、なぜか痛いほどわかる。少なからず自分の中にもいるその恋愛小説家の皮肉に、本心と裏腹の表現を口にする自分にうんざりする時もある。というか多い。それを受け入れるヘレン・ミレンが素敵だ。衝突するのだが、あとから理解の手を差し伸べるのはいつも彼女だ。しかしそこでも屈折した言葉で投げ返してしまうニコルソンにうんざりする。そしてそれにいつも反省するニコルソンが心を開く。その繰り返しだ。潔癖と繊細ゆえに高慢にみえる小説家の対人ベタを解消していくのは、やはり小さな愛情のトライアンドエラーだ。おおかれすくなかれこれは誰にもあてはまるサイクルのようにも思える。

投稿者 isao tsuge : 02:35 AM

March 01, 2009

ポール・ポッツ

投稿者 isao tsuge : 02:29 AM