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February 12, 2009

食料、水、エネルギー

いかなる戦争の原因も食料、水、エネルギーにある。宗教戦争も入植を伴う覇権争いといえる。生きるためにそれら三つのいずれかを国力を賭けて奪い合う。戦争のない世界、という平和の実現は果たして可能なのだろうか。ジョン・レノンのイマジンする戦争のない世界とは、根本的には食料、水やエネルギーが、国々の人口分布に万遍なく平等に行き渡るということによる。この思想は共産主義に近い。資本自由主義は人と人が自由に競争することによって、その勝者がより有利な権利を得ることによる。それが延長すると格差が生じて、食料、水、エネルギーの分配に数的不平等が生まれる。しかし努力した者がより優遇されなければ働かなくても良いという発想が生まれる。だからこそ勝者が優遇されるという発想が生産を推進する動機ともなる。しかしここまでの考えであれば金本位制の時代の発想である。たとえば金を所有する量が多ければその人間は食料、水、エネルギーの所有にも優位を保てる。それは現在の金持ちが優位ということに似ている。しかし世界の金の総体は有限なので、その金のやり取りのために使用していた借用書(紙)というものが紙幣に変化した。これによって金という物質を動かさなくとも紙幣という概念を移動させればやり取りが出来るようになった。国は自分の都合があるので、簡単に印刷できる紙幣を時代の都合によって増減させる。それによって貨幣価値は変動しここに変動相場制が生まれた。一方、自分の会社により多くの資金を集めるために、その思想や企業価値を売り物にして株式というシステムが生まれる。一定の企業的信用を獲得すれば上場して世界中のお金を集められる。変動相場制と株式上場による投資が連動して、より国力の意味に変化が生じた。これが世界中に満遍なく押し進められた過程が第二次世界大戦終戦、国際連合、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、ソビエト崩壊、中国資本主義化である。それらの根本目的は食料、水、エネルギーの獲得であり、イデオロギーや宗教はその動機付けに過ぎない。核の恐怖によっておいそれと大国同士の衝突ができなくなった時代がおとずれ、小国に戦力を貸して勢力図を塗り替える手法が横行し、それらの暴力的政策の餌食になった国のもとには憎しみが残った。それらの国々は大概は貧しく、エネルギーを吸われるだけ吸われて捨てられた。これらは十字軍時代の覇権主義とさして発想は変わらず、ことの大小はともかく現在も続いている。しかしインターネットという情報革命が起こり、意識とテクノロジーの情報共有の即時性という世界が出現した。それらが本質的に普及したのが1990年以降である。そこから国という概念の崩壊がはじまる。変動相場制と投資という基本に支えられて来た国力は、インターネットの普及によって即座に世界中の人々の「気分」を国家という概念を飛び越えて経済に影響させる。お金を確保している分量が国の力に正比例していたはずが、その力は個人や組織ベースに分解されていく。変動相場制、投資、インターネットによってたとえ小国であっても個人、組織ベースに金が流れ込むことが可能になった2000年代、抑圧されていた小国の逆襲が始まった。その象徴がテロリズムである。テロリズムの動機が宗教原理主義や憎悪であったとしても、その先にあるのは同胞の幸福である。その意味で大国が追求して来た利益と同質と言える。大国とテロリストは、その宗教上の動機、倫理観の違い、憎悪の記憶ということをのぞけば、その目指すべき目的が食料、水、エネルギーということにおいて同じなのである。なぜなら「人は何によって生きられるか」という根源がそこにあるからであり、それ以外の理由付けは行政的か情緒的なものに過ぎない。食料、水、エネルギーが戦争目的なのだとすれば、それらの新しい<分配方法><増産方法><代替方法>を考えれば、戦争行為の軽減の可能性に近づくかもしれない。エコロジーは増産と代替を推進するが、未だ基準と分配方法があいまいであるために新たな権益を発生させて真の貢献に至っていない。イマジンの世界とは圧倒的な意識改革と行動を要求していると痛感する。

投稿者 isao tsuge : February 12, 2009 11:12 AM