« January 2009 | メイン | March 2009 »
February 24, 2009
DEPARTURES
LAより本日帰国予定。一夜明けてもオスカー獲得の興奮は冷めないものの、メイルで聞こえてくる日本の状況とはまた違った落ち着きがある。ちょうど台風の目の中にいるような感じです。作品の末席にでも座らせていただけたことに心から感謝している。監督の弁ではないが「これがわれわれの新しい旅立ち」だ。
投稿者 isao tsuge : 10:41 PM
第81回米国アカデミー賞外国語映画賞
いまだに信じられないのですが、受賞してしまいました。応援していただいた皆さんに、心より感謝します。恥ずかしながら、会場で皆と抱き合って泣きました。
投稿者 isao tsuge : 12:03 AM
February 22, 2009
米国アカデミー賞
明日の本番には会場のコダックシアターのまわりには壁が作られてしまうので、とりあえず撮っておきました。
投稿者 isao tsuge : 11:16 AM
February 21, 2009
日本アカデミー賞
「おくりびと」が主要10部門で最優秀賞を獲得した。米国アカデミー賞のため明日(正確には今日)ロサンジェルスに出発する。まぁ、お伊勢参りぐらいの気持ちで行ってまいります。投稿者 isao tsuge : 04:31 AM
February 16, 2009
ゼラチンシルバーLOVE
投稿者 isao tsuge : 11:33 PM
珠響@サントリーホール
サントリーホールで珠響(たまゆら)を観る。稲本響(ピアノ)、藤原道山(尺八)、村治佳織(ギター)、亀井広忠(大鼓)、田中傳左衛門(小鼓)、田中傳次郎(太鼓)、野村萬斎という面々。それぞれのアーティストがそれぞれの音の響きを表す企画。村治さんと野村さんがきわめて素晴らしかった。和の楽器を使う時に西欧音楽のスケールに転換すると新しさよりもこなれの悪さが目立つ場合がある。実際今回もそのような場面があった。しかし村治さんのギターとそれとコラボするコーラスは、基本を曲げずに組み合わせの新しさで表現の領域を広げ非常に美しかった。萬斎さんの舞と鼓の表現も、やはり奇をてらうことなく状況を極端にそぎ落とすことによって革新性を表していた。両者とも、本当の意味で新しさとは何かということを熟知していたという部分で、圧倒的に他のパフォーマーより抜きん出ており高級だった。
投稿者 isao tsuge : 01:55 AM
February 12, 2009
食料、水、エネルギー
いかなる戦争の原因も食料、水、エネルギーにある。宗教戦争も入植を伴う覇権争いといえる。生きるためにそれら三つのいずれかを国力を賭けて奪い合う。戦争のない世界、という平和の実現は果たして可能なのだろうか。ジョン・レノンのイマジンする戦争のない世界とは、根本的には食料、水やエネルギーが、国々の人口分布に万遍なく平等に行き渡るということによる。この思想は共産主義に近い。資本自由主義は人と人が自由に競争することによって、その勝者がより有利な権利を得ることによる。それが延長すると格差が生じて、食料、水、エネルギーの分配に数的不平等が生まれる。しかし努力した者がより優遇されなければ働かなくても良いという発想が生まれる。だからこそ勝者が優遇されるという発想が生産を推進する動機ともなる。しかしここまでの考えであれば金本位制の時代の発想である。たとえば金を所有する量が多ければその人間は食料、水、エネルギーの所有にも優位を保てる。それは現在の金持ちが優位ということに似ている。しかし世界の金の総体は有限なので、その金のやり取りのために使用していた借用書(紙)というものが紙幣に変化した。これによって金という物質を動かさなくとも紙幣という概念を移動させればやり取りが出来るようになった。国は自分の都合があるので、簡単に印刷できる紙幣を時代の都合によって増減させる。それによって貨幣価値は変動しここに変動相場制が生まれた。一方、自分の会社により多くの資金を集めるために、その思想や企業価値を売り物にして株式というシステムが生まれる。一定の企業的信用を獲得すれば上場して世界中のお金を集められる。変動相場制と株式上場による投資が連動して、より国力の意味に変化が生じた。これが世界中に満遍なく押し進められた過程が第二次世界大戦終戦、国際連合、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、ソビエト崩壊、中国資本主義化である。それらの根本目的は食料、水、エネルギーの獲得であり、イデオロギーや宗教はその動機付けに過ぎない。核の恐怖によっておいそれと大国同士の衝突ができなくなった時代がおとずれ、小国に戦力を貸して勢力図を塗り替える手法が横行し、それらの暴力的政策の餌食になった国のもとには憎しみが残った。それらの国々は大概は貧しく、エネルギーを吸われるだけ吸われて捨てられた。これらは十字軍時代の覇権主義とさして発想は変わらず、ことの大小はともかく現在も続いている。しかしインターネットという情報革命が起こり、意識とテクノロジーの情報共有の即時性という世界が出現した。それらが本質的に普及したのが1990年以降である。そこから国という概念の崩壊がはじまる。変動相場制と投資という基本に支えられて来た国力は、インターネットの普及によって即座に世界中の人々の「気分」を国家という概念を飛び越えて経済に影響させる。お金を確保している分量が国の力に正比例していたはずが、その力は個人や組織ベースに分解されていく。変動相場制、投資、インターネットによってたとえ小国であっても個人、組織ベースに金が流れ込むことが可能になった2000年代、抑圧されていた小国の逆襲が始まった。その象徴がテロリズムである。テロリズムの動機が宗教原理主義や憎悪であったとしても、その先にあるのは同胞の幸福である。その意味で大国が追求して来た利益と同質と言える。大国とテロリストは、その宗教上の動機、倫理観の違い、憎悪の記憶ということをのぞけば、その目指すべき目的が食料、水、エネルギーということにおいて同じなのである。なぜなら「人は何によって生きられるか」という根源がそこにあるからであり、それ以外の理由付けは行政的か情緒的なものに過ぎない。食料、水、エネルギーが戦争目的なのだとすれば、それらの新しい<分配方法><増産方法><代替方法>を考えれば、戦争行為の軽減の可能性に近づくかもしれない。エコロジーは増産と代替を推進するが、未だ基準と分配方法があいまいであるために新たな権益を発生させて真の貢献に至っていない。イマジンの世界とは圧倒的な意識改革と行動を要求していると痛感する。投稿者 isao tsuge : 11:12 AM
February 09, 2009
ベジャール・ガラ
NBS主宰、「ベジャール・ガラ」を観る。日によってキャストが変わるので明日も行く。今日は長年の友人、首藤さんが「中国の不思議な役人」の中国人を演じた。明日は女役である。まず首藤さんが舞台に出現した途端、場の空気が変わった。申し訳ないがまわりのダンサーと比較した時、異次元にいた。そこだけに光が当たり、まわりはそれよりも幾分沈んでいた。さながら「ガラスの仮面」の如く、である。シルビー・ギエムが「ボレロ」を踊った。彼女のボレロを観るのは二回目、おそらく10年近く振りのような気がするが、愕然とする素晴らしさであった。あまりに彼女が素晴らし過ぎるので、まわりのコールドダンサー(全員男性)が気の毒だった。仕方ない。百年にひとりの天才なのだから。もの凄いカーテンコールで客席全員が総立ちのスタンディングオベーションであった。本当に良いパフォーマンスを観た。彼女、もう45歳くらい。異常事態のアンチエイジングである。
投稿者 isao tsuge : 11:58 PM
絵
二枚のペインティングを描いた。ミニマムで抽象的なものだがタイトルは具体的なものだ。ロールシャッハテストではないが、最近偶発的に出現する図象が、自分にとって何に見えるのかということが気にかかる。別に表れてくる模様や色には何の意図もないのだが、言葉が規定した途端それは存在としての意味を持つ。それが面白い。まぁ、ひとり遊びです。投稿者 isao tsuge : 03:39 PM
February 06, 2009
スイッチ
よく気合いが入ったりやる気が出たりした時に「スイッチが入った!」なんて言う時がある。スイッチが入るなら「スイッチが切れた!」という時もあるのだろうか?思うにスイッチが入る時には希望にも似た明るい気分があるけれども、スイッチが切れた、という際にはどちらかというとそのような明るさはなく、どこかあきらめにも似た曇り空のような気分な気がする。もっとも、余りの出来事が起こって「もうぅぅぅ切れた!!」という逆上系のものであれば、すっぱりと気分も展開してこれまでの状況に決別するのかもしれないが、自分の性格からすると、意外に忍耐強いところもあってそうもいかない。これまでの経験の中で、自分の生き方に影響をおよぼすような決定をする中で、忍耐の限度に到達し、いわゆる「もう切れた!」というのは二度ほどあったが、それでもそこに至るまでには小さなスイッチの切れの連鎖があったような気がする。ひとつのスイッチが切れる時、僕ははっきりと自覚している。とても残念で虚しい気分なものだが、それでもまだ他の希望の領域が残っていて、それが現状をなんとか維持させ続ける。そんなスイッチがいくつかあって、それが切られないどころか、新しいスイッチが入って行けば状況は正しく成長するのだが、小さいながらもスイッチが切れ続けると、最後にはブレーカーが落ちる。スイッチとは一体なんなのかわからないが、すこし愛情に関係しているような気がする。人などは強いものではないので、目標なりなにかどこかに進むのに絶えず自分の在りかを確認していたいものなのかもしれない。あるいは確認してほしいのかも知れない。なんの確認なのかわからないが、確認したいタイミングの時に幸運にも愛情が注がれればスイッチがはいるなり、持続の力になるのかもしれないが、不幸にも愛情が感じられないか、無意識に裏切りを感じたり、へたをすると悪意すら覚えたりしたなら残念ながらスイッチが切れる。山あり谷ありなのだから小さな幸福が続く時もあればその逆もある。いずれにせよその愛情の正負の蓄積がスイッチの行方を分けるのだろうなと思う。できれば失望というスイッチの切断は願い下げなものだ。もっとも愛情は絶えず注ぐものなのだと思えば、スイッチの切れ自体、回避できるのだろうが。投稿者 isao tsuge : 11:12 PM
コンドル -Three Days of the Condor-
シドニー・ポラック監督「コンドル」を久しぶりに観る。筋もディテールも忘れていたがなぜか購入した。素晴らしい出来だった。
投稿者 isao tsuge : 01:09 AM
February 04, 2009
オルガ・キュリレンコ
新作007のボンドガールの彼女は「ロシアより愛をこめて」のタチアナに匹敵するほど魅力的だ。
投稿者 isao tsuge : 08:35 PM
「YATTERMAN」試写
昨日五反田イマジカで三池崇史監督「ヤッターマン」の完成試写を観る。1000カット以上のCGをこの期間でまとめたこと自体奇跡だが、「微妙なズレ感」という雰囲気が、台詞、キャラクター、美術、VFX全体に共通した制作コンセプトとして徹底していて、かなりクスっとした笑いを誘った。そういう意味でかなり面白い作品に仕上がっていると思う。完全にB級的な作品感狙いだが、各セクションの質感が確信犯的な作りを感じさせている。三池さんぽい作品だ。深田さんのドロンジョが可愛い。桜井さんの1号も味系である。それぞれの存在がそれでしかありえないところに落とし込まれていてかなり笑える。「2」あるのかなぁ。投稿者 isao tsuge : 06:25 PM
February 03, 2009
「TAJOMARU」打ち上げ。
昨夜、中野裕之監督「TAJOMARU」の打ち上げがあった。作品には美術の林田さんからのお誘いで参加した。僕の担当はビジュアル・ディレクター。人物設計と美術アドバイスが仕事になった。この時点で参加したプロダクションスタッフは撮影監督と美術、そして僕の3人だけだった。撮影を始めるために各部のプランが固まるのにこれほど時間のかかった作品も珍しい。しかしプロダクションが始まると一種体育会系のような一体感が産まれたのは、エグゼクティブ・プロデューサーの山本又一朗さんのキャラクターによるところが大きい。ポール・シュナイダー「MISHIMA」やフランシス・コッポラとのヨットの作品(題名、忘れてしまった)、石岡瑛子さんなどなどかなり強い個性の作家をあつかう猛獣使いである。しかし私見では山本さんが一番の猛獣である。というか、そういう動物のようなカテゴリーというよりも台風とか天災に近い感じ。とはいえ台風だの大雪だの大好きなので、「もう!」とぶつくさ言いながら内心喜んでいるのだ。僕は美術の林田さんが大好きで、彼は映画界の宝だ。素晴らしいセンスと実行力。そして人柄。しかもものすごくIQが高い。会う度にほっとするのは自分だけではないだろう。昨夜の打ち上げは、これまでにいろんな会に参加して来たが、中野監督をして「もう、こんな危険な会はやめましょうよ」と冗談とも本気ともつかないコメントに集約されていました。何人つぶれたんだろう。。。投稿者 isao tsuge : 11:22 AM
February 01, 2009
大不況
国内生産落ち込みが加速しているという。100年に一度の不況と呼ばれている実体は、国内総生産で前年度比10%減、鉱工業生産はピーク時比較の30%減という数字を産んでいる。世界大恐慌時で40%減らしく、現在の加速はまだその底を打っていないというのがエコノミストの共通認識だ。言わば戦後最大の不況と言える。ざっと乱暴に言えば収入も1割から4割減給、あるいは人員が1割から4割削減、ということだ。昔のように正社員が普通だった時代とは違う現在、派遣切りが横行するのは自明で、もはやそれどころか正社員カットの領域と言える。新規雇用が望めるはずもなく、失業率は4.4%。今後確実に5%を超える。かたい話になってしまったけれども、こんな恐ろしい時代に住む家があり仕事があること自体に感謝しなければなるまい。一体この時代でもサバイブできる本質はなんだろうか。オバマ大統領の言う「変革」は未曾有の時代に対するチャレンジととれる。きっと僕らは僕ら自身にできる責任と貢献を具体的に強く自覚することでしか、僕ら自身の個性というものを理解することができない。しかしこのような時代だからこそ、そのように努力によって自覚される他にはないユニークな個性というものが商品価値を持ち、新しいパラダイムシフトを起こす糧になるのだろうと思う。結局このように厳しい時代だからこそ、自分に厳しく、そして進化を問われるのだと痛感する。投稿者 isao tsuge : 08:35 PM
これ好きです。:モノノケダンス(衝撃のラストを見よ!)
投稿者 isao tsuge : 07:06 PM