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January 31, 2009

通小町異聞(かよいこまちいぶん)

新国立劇場小劇場で今日明日だけの上演、能の観阿弥が原作の「通小町異聞」を観る。群を抜く才色兼備、小野小町(おののこまち)に言い寄る男達は星の数ほどあったが、その中でも容姿端麗文武に長けた深草少将(ふかくさのしょうしょう)の存在は群を抜いていた。小町を熱愛する少将に対して「100夜、欠かさず屋敷に通い、来た証に柱に傷をつけて帰ってください。そうすれば100夜目にあなたの言う事を聞きましょう」と告げる。で、牛車や馬で来たらうるさくて近所にも目立つから駄目だという。だから歩いて通わされるはめになるわけです。でも彼は小町のことを大好きですから、ものともせずに屋敷から小町のところに歩いて通いつめる訳ですね、毎晩。雨、風、嵐の夜もぼろぼろになりながら通う。好きというだけで。99夜通い終えて、100夜目にそれはもう美しく麗しく着飾った少将は「今夜!」とまた歩いて行く訳ですが、重なる疲労に途上で死んでしまう。時を経て、小野小町も亡くなって、少将のお付きをしていたものがある場所で女の幽霊を観る。その幽霊がそこにいる僧に対して深草少将の霊を成仏させるようにと頼む。それを見た付き人はそれが小町の霊だとわかる。あれほど世の男性を手玉にとった彼女が、自分自身も成仏できずに霊として徘徊しているのを知る。そこに怒りに満ちた少将の霊が現れる。そして僧に対し「小町に対する恨みは晴れず、どうか自分を成仏させず、小町の望みを叶えさせずにいてくれ。そして小町を成仏させないでくれ」と伝える。僧は少将に対して「その100夜をどのように過ごされたのか?」と問う。そして少将はその様子を狂おしく語る。そうするうちに二人は一念によって成仏する。。。というような内容だ。小町もあまり調子に乗らない方が良かったかと。あらゆる形ある美しさなど朽ち果て永遠ではないし。「100夜通ったら〜」なんて口に出してしまったら引っ込みもつかないかもしれないけれど、相手の様子や心もうかがった方がいいですね。たとえ心は推し量れていたとしても、行動しなければ思っていないのと一緒ですね。いい加減ものには限度というものもあるし人の想いを試すにしてもね、度を超したプライドは身を滅ぼす。それにしても能というのは本当に美しいですね。

投稿者 isao tsuge : 10:41 PM

この方、好きですね。

MIYATAMARIE.jpgミス日本・宮田麻里乃さん

投稿者 isao tsuge : 10:21 AM

January 30, 2009

かかわり

今日の撮影スタッフはとても大好きで尊敬できる、でもひさしぶりに会う方々だった。本当にこの人たちと会う時、いつも空気が澄んでいる。つくづく自分が関わる人たちが、自分自身を育ててくれると思う。だからこそ友だちと言える人が、どれだけの素晴らしさを持っているかが自分を決定づけたりもする。また友だちまで深い付き合いでなかったとしても、自分が普段ひんぱんに会う人に注意深くあるべきだと思う。400年前に著されたバルタザール・グラシアン「賢人の知恵」という本がある。その27章に「愚かな人に煩わされない」と書かれている。その説明を引用すれば「愚かな人が見分けられないなら、自分もその同類となる運命だ。もっと悪いのは、愚かとわかっている相手と手を切れないことだ。愚かな人が周りにいては危険だし、腹心であったら命とりだ。人に見張られている間は、愚かな人も教訓を学んだように見せてうまくふるまうかもしれない。だが結局はひとつふたつ必ず愚かな行いをして、大騒ぎして事態を悪化させるだけなのだ。評判の悪い人のおかげでこちらの評判が良くなることなどありえない。せめてもの救いは、愚かな人は、賢人にとっての戒めや警告の兆しとなることくらいである」我が身を振り返ろう。。

投稿者 isao tsuge : 07:55 PM

なぜかこれが好き。

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投稿者 isao tsuge : 03:40 AM

January 29, 2009

公私

よく仕事をし始めた人から「ここまでは仕事、ここからはプライベートなので」というような意識を嗅ぎ取れる時がある。誤解を恐れず率直に言えば、公私の境目など僕ら作る仕事に携わっているものには一切ない。すべて芸の肥やし、創作の糧、評価の対象、進化の根拠なのだ。休日に感じるものも、余暇を活用する目的も、人間関係も、すべて仕事に直結している。だからただ和めるという人とだけ付き合う人物は大成しない。なぜ世の中に気が合わず、意見が衝突し、やり方の違う他人が存在するのか?それは抵抗を通じてしか動物は進化できないからだ。直接仕事に携わっている時間を公と呼び、それ以外の時間をプライベートと考えるのであればその人はそもそも創作に向かない。乱暴に言えば仕事をするということに向かない。われわれは戦争をしているのと似ている。知力や体力、技術や人間力、自然への敬意のすべてを24時間試されている。プライベートと呼べるのはせいぜい寝ている時くらいと思った方が間違いない。極めて偏った主観かもしれないがそう思うので仕方がない。公私の分け方がはっきりしている人に感じられる傾向として、自分の人間関係や行いが仕事相手には見えないだろうという傲慢さがある。あるいは表立たない人間関係の影響を見えないだろうと軽んじている臭いもする。見えています、そういうものは。指先がテーブルに置かれたわずかなちりの粒子を感じてしまうように、その人の背景は自動的に見て取れるのだと思う。純粋な気持ち良さを持ち、まっすぐな行動基準を持つ人は、公私のどの時間帯を切ってもそうなのだ。どんなに仕事の時間に前向きな振りをしても、見えない時間に同様の基準をもっていない人は、結局とどかない。公私というのは人間の幅を問う言葉とも思える。公と私を離す人ほど結局社会的な貢献度が小さい。また公私に分け隔てが無くなるほど貢献度は増し、またそれを社会から要求されてもいる。ともあれ、あえて公私と言うのなら、公も私も、極めて吟味した人や物、事、精神、行動を自分自身のまわりや内部に取り込まなければならないのだろう。そのセンスに鈍い人はそもそも自立などは目指さず、他人に寄生なり依存しつづければいいのだろう。

投稿者 isao tsuge : 09:20 PM

January 28, 2009

間が悪い人というものはいるもので、それが自分にとってそうである場合もあれば、自分自身がそうである場合もある。一体それがなにをもとに起こるのかは皆目分からないが、多分波長が違ったり、存在の波動そのもが違ったり、時には住む世界が違うのだ、などとうがって納得する場合もある。間あるいはタイミングのようにとても計算ずくで計れないものを相手にする時、形而上的な理由に頼って納得できるくらいの関わりならばことは穏便だけれど、絶えず間が悪い相手というのもある。なにか接点があるように見えて、その実、接点がずれるというような相手。正直そのような関係には早々に見切りをつけるのが良いと思う。しかし間の悪さというのはさらにうわ手を行っていて、そのような相手に限って接点を持たなければならなかったり、自分にないものがあるような気がして接点を持とうとするような不条理が働く場合もある。それを神の思し召しとして受け入れる手もあるが、最近僕は、心を鬼にしてそのようなものは早々に捨て去った方が良いように思う。わざわざそこに労力を割くなど時間の無駄というものだ。宇宙が確率によってできているならば、三度も間の悪さが続けばそれが事実そのものというものだろう。

投稿者 isao tsuge : 03:26 AM

January 26, 2009

007慰めの報酬

img_952141_20672873_0 007の新作を観る。前作「カジノロワイアル」の一時間後からの設定。ネタバレになっちゃうから書きませんが、この作品、DVD出たら必ず買います。ベッドサイドで観ながら寝ちゃいます。言いたいのは傑作だ、ということです。もしかして「カジノ〜」より好みかも。すべてのボンドシリーズの中で「ドクターノオ」「ロシアより愛をこめて」「サンダーボール作戦」「トゥモロー・ネバー・ダイ」あたりが好みの僕にとって、「慰め〜」は完全ツボでした。六本木TOHOシネマズ、満杯でした。

投稿者 isao tsuge : 12:11 AM

January 24, 2009

フィードバック

昨夜、麻酔医の先生と食事をしながらふとした話の流れで「飽きる、っていうのは医学的にはどういう作用なんでしょうね?」なんて言う会話になって、「それはぱーっと興奮して思いついたり人を好きになったりするとドーパミンが発生するんだけれど、それが出続けると体に負担を与えてしまうのでフィードバックっていうのがおこるのね。ブレーキがかかるって感じ。それですっとそれまでの興奮がさめちゃったりするわけ。言ってみれば飽きるっていうのは、ドーパミンに対してフィードバックした状態ってことみたいね」「たとえば恋愛とかだとドーパミンの持続性が三、四年で、それでフィードバック。よく3年目の浮気なんていうのは理論的なわけ」。などという話を聞いた。「じゃぁ、ドーパミンが出やすい人と出にくい人っていうのもいるんですか?」と問うと「熱しやすく冷めやすい人なんてそうかも。だけどたとえば企業の中でもアイデアやコンセプトを出す人はドーパミン系で、それをメンテして継続する人はフィードバック力が強いのかもしれないですね」というような会話だった。うーむ、ぼ、ぼくは。

投稿者 isao tsuge : 09:19 PM

祝!おくりびと

d295fc98.jpg 米国アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。これはちょっとした大事だ。まだ企画の段階から本木さんに声をかけていただき、いったい納棺というものがどういうものなのかと取材をくりかえし、ご遺体というものがどういうものか調べ、プロダクション指揮した。もう二年前のことだ。それがこのような評価を得られるとは思いもよらなかった。このような作品に参加出来ること自体、なかなか稀なことで、心から感謝したい。

投稿者 isao tsuge : 12:54 AM

January 16, 2009

ヤッターマン

01.jpg ヤッターマンの主要キャラクタービジュアルが解禁になった。一号、二号、ドロンジョをはじめとするドロンボ一味。どの扮装もとても苦労し丁寧につくったものなので愛着がある。寺田さんのキャラクターデザインリファインを現実な形におとしこむのがキャラクタースーパーバイザーの僕の仕事で、それはキャラクター全体をレザーにするとか、色の指定や、レトロフューチャーな雰囲気にするなどのコンセプトを決め、衣装担当やヘアメイク、特殊造型などの各セクションを指揮していく。とんでもない情報量だった。それがいよいよ世の中に見える形で出て来たのは非常に嬉しいことだ。春、公開。

投稿者 isao tsuge : 10:30 PM

January 15, 2009

リュウ・ド・リュクス

六本木ミッドタウンの2Fに故植村秀先生が作られたビューティー+ヘルシーのための「シュウ・サンクチュアリ」というエリアがある。現在はそれを引き継がれた植村浩社長が運営されている。サプリメントショップや自然食カフェ、アロマショップやヘアサロン、エステサロンなどが併設されているのだが、そこにメンズ専用のスパ「リュウ・ド・リュクス」がある。去年の十一月から直営になり、僕も社長とのつながりで何度も足を運ばさせていただいている。当然ながらすべて個室で、技術者はそれぞれに施術の特徴がある。はじめてヘッドスパをしていただいた折には、首まわりのリンパマッサージも連動していて自分でも驚くほど血色が良くなった。昨日も友人を連れていったら驚くほどに小顔になっていた(いや、まじで)。一種のモニタリングをしている状態なのだが、毎回途中で意識が落ちてしまうのでモニターにならない。それだけ気持ち良い。普段他人に奉仕する仕事をしているので、自分が奉仕されることに不慣れなのだが、まさに大奥。男性はぜひ一度足を運ばれることをおすすめいたします。

投稿者 isao tsuge : 01:20 PM

January 12, 2009

精力つけないとね。

新年をむかえて新しい脚本が二冊来た。読まねば。う〜、頑張ります。関係ないが、昼、品川のオイスターバーで牡蠣を食べた。おすすめの8Pをエンジョイ。兵庫明石の牡蠣が大粒かつ癖が無く素晴らしかった。磯の香りが強いものを好む方もいると思いますが、自分はすっきりプレーンに食べられるものが好きで、海外の小粒なものが好きだったりするのですが、いやこの明石産は素晴らしい。明石オンリー、ご指名でいきたい。

投稿者 isao tsuge : 11:10 PM

January 06, 2009

掃除

体の大掃除も済んだので自宅の大掃除を始める。年末にするのが習いだが時間を割けなかったためにずっと気持ちが悪かった。すべて気の済むように綺麗にするのには3日くらいかかりそうだ。それでも叙々に片付く部屋をみていると自分の脳の散らかりも整頓されていくようだ。机の上をみればその人のキャラクターがわかると言うが、事務所や家であればなおさらだ。ベッドルームとクローゼットの整頓と軽い模様替えに着手したら途中で気力がとまった。あと一日必要だ。つくづくいらないものばかりだと思うのだが、その時にはなんらか魅力を感じるなり必要があって集まってくる品々なのだから感謝をしつつも、時間を経過した時、自分自身どのような思想を以て捨てるなり処分するなりできるかが肝要だ。僕のデスクの引き出しには決して使わないであろう小物が山ほどはいっており、これが僕に無断で処分されてもなにも記憶に残っていないだろうとすら思う。なのにどうしてそんなものを貯め込んでるいるのだろう。巣にヒマワリの種を貯め込むシマリスのようだ。本当に残すべき何かとは一体なんなのだろう。。

投稿者 isao tsuge : 09:32 PM

January 04, 2009

充実

こんなに寝たのは何年ぶりだろうか。「寝正月」とは言うが自分のは「寝たきり正月」だ。三日続いた熱を通じて体の大掃除をしたかのようだ。まだ節々の痛さやふらつきがあるが、まともな思考と歩行は戻って来た。こんな機会はまたとないのでベッドに寝たりソファに寝たり、思い切り映画を見たり途中で爆睡したり、はたまた読みかけの脚本やら本に目を通したり、とはいえどれも長続きせず、、な状況を繰り返し、たまたま年始にぶつかったので思い切って体を縦にしない生活にトライしてみている。考えてみると春先などの季節の変わり目にいつも熱をだす癖がある。毎年二回、春と秋。必ずだ。二日ほどで下がり終了。今年は早まったのかなぁ。温暖化の影響かなぁ。しかし良い事もある。時間がないと決断を直観に任せざるを得ず、またその決断方法を正当化しやすい。「直感的に決めました」と言う方がなにか立ち入り難い真実味があるような気もする。しかし一方時間があると決断を下すのに理性を頼る。というわけで今年の自分のテーマは大晦日にレポートしたように「厳密」なので、いくつか自分が抱える決定事項を熟成するのにためになった。もちろん体調が万全ではないので、ここで考えた事を再考し、決断していこうと思う。理想的にはこの状態に直観が働くことですね。待てるものと待てないものがあるので時間配分でしばらく忘れよう。

投稿者 isao tsuge : 06:41 PM

January 03, 2009

2009

元旦の仕事を終えて朝方帰宅したら、熱が出て今まで床に伏した。はじめての経験だ。気がつけば3日ですね。私的には大晦日らしいことも三ヶ日らしいこともないが、ともかく2009年がはじまった。突き進むしかない。

投稿者 isao tsuge : 02:03 PM