December 15, 2006
一文
ある美容業界誌を読んでいたら以下のような一文があって驚いた。
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「教育という言葉にはどこかいやらしさがある。教えてやる、という自意識。自分を常に上に置く権力行使。教育される生徒はいつまでも先生を超えられない(中略)。薫陶(くんとう)という言葉がある。君に教えることはない。だけどなにかを感じる手伝いはできる。だけど私が感じた事を追体験する場は伝えたい(後略)」
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「教育」を概念、実体そして言葉としてもこのように捉えているのだとすれば卑屈な心だ。薫陶とは「徳によって人に感化すること」だろう。これを英訳すると「discipline; training; education; instruction」となる。これらは皆「教育の一形態」だ。ちまたは教育ビジネスが隆盛だ。この風潮に対するアンチテーゼとして「教育」というワードを叩いたのだとしてもあまりに稚拙な解釈だ。教育は行う側も受け手側も生やさしいものではない。「教えてやる、という自意識」「自分を常に上に置く権力行使」「教育される生徒はいつまでも先生を超えられない」などと言う者は、その程度の教育体験しか負っていないからだろう。さまざまな素晴らしい学校は、それまでの教師や先達の知識と行動に導かれ、より新しく能力の高いリーダーやアーティストを生み出している。教育は個人を満足させるだけでなく、携わる双方を高みに上げるためのものではないか。雑誌のライターももうすこし教育のある文章を書けないものだろうか。
投稿者 isao tsuge : December 15, 2006 09:00 PM