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December 07, 2006

ビューティー・ディレクション

ビューティー・ディレクションという仕事は、いわゆるへアメイクを自分の手によって施術するというそれまでの仕事以外の能力を問われる。そもそもこのような分野を作り出したのも、映画やイベント、あるいは舞台のように「出演者が大人数で長期間の表現でも劣化しない概念と方法の提示」という切羽詰まった状況に直面して作り上げた代物で、つまり「自分の技術をひとりの役者に施して表現の是非を問う」というやり方とは根底から異なる。お茶会でも大寄席だったりすると主人は点前を実際には行わず、その空間コンセプトや場をとりしきり、お点前は弟子がする。そのようなものだと考えればわかりやすいかもしれない。したがって良い技術者であるべきなのと同時に、良い監督であり、管理者である必要がある。極端に言えばわがままな女優が「わたしこのメイクさんを連れてきたいわ、この現場には」とダダをこねてもいっこうに構わない。そのメイクさんとコンセプトに従った良いコラボレーションをすればいいからだ。まぁ、このやり方を理解できない方から「どうして直接やってくれないのかしら」みたいに嫌われる可能性もある。実例もあります。しかしその人だけをやるわけにはいかない時もある。経験的にその人ひとりにとって嬉しい特別待遇システムも全体の表現にとって良い結果を生まないことが多い。もちろんそこはバランスですが。これまでビューティーに関わる仕事、特に映像表現に携わるメイクアップアーティストたちは知らず知らずのうちに指揮系統や組織立てを封建的に構築してきたが、「ビューティー・ディレクション」という形でそれを確立した例はない。別に自慢しているのではなく、そろそろこのように情報を一元化する考え方、やり方が常識として浸透しても良い頃だと思う。なぜならビューティー分野はヘアスタイリング、洋カツラ、和カツラ、ヘアーカッター、ヘアカラリスト、メイクアーティスト、ネイリスト等々(これでも書ききれていない)ときわめて多様な広がりを見せているのに、この状況をプロデューサーや監督は理解していないと同時に、理解していたとしてもその能力を引き出すに到底至ってはいない。なぜならその人々の潜在能力を知らないのと共に苦手意識や他に山積みになったタスクがあるからだ。そのような現在、制作上のビューティーに関わる情報と指示系統が一元化していない例が多く、結果的にとんちんかんな組合わせの表現が出現する。思わず吹き出しそうになるが、現場は真剣にそれをとりあつかっているから笑えもしない。そのような悲劇を回避するためにビューティー・ディレクターが必要なのだ。プロデューサーや監督、演出家はビューティー・ディレクターに容姿にかかわる考えを指示するだけで良い。そこから先は専門分野の仕事になる。

投稿者 isao tsuge : December 7, 2006 06:30 PM