三夕茶会の恐るべきレポート ギャラリー小柳よりご紹介
☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月10日19時50分
☆タイトル:【スペシャル編1】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1610)
ひらひらでございます。
ここ最近、少し湿っぽい投稿が続いたので、久々にお茶会レポートを。。。
ひらひらは、去る10月30日に、“歴史的な名茶会”に遭遇しました。
あまりにも素晴らしい茶会でしたので思わずひらひらレポート。
かなり長文になるかもしれませんが、どうぞお許しくださいませ。
今回ご紹介する歴史的名茶会の名は“三夕茶会”(森美術館主催)です。
世界的に評価が高い写真家杉本博司氏と、彼を“最も尊敬する現代芸術家”
と高く評価されている武者小路千家の千宗屋若宗匠がコンビを組んで開いた
お茶会です。有名な三夕の和歌をテーマにして、杉本さんの写真作品を床に
掛けて秋のお茶を楽しむという趣向との由でした。
ご参考:http://www.mori.art.museum/contents/sugimoto/info/index.html
http://www.mori.art.museum/contents/sugimoto/about/index.html
森美術館のホームページでこの茶会への参加者募集をしていたので、千宗
屋若宗匠ファンのひらひら、即刻ウチの師匠や宗旦狐さんなど拙宅での茶
事でいつもお世話になっている方々4人に同行をお願いして一緒に申し込
んだのでした。
10月30日は、午前中に川崎大師の中書院での知人のお茶会に出席、その後
ただちに青山に移動して三夕茶会に出席という強行軍でしたが、客として
根津に伺うのは久しぶりで、期待に胸をふくらませて根津庭園に向かいました。
根津美術館の講堂の前で受付を済ませ、会記をいただきました。会記は銀色
の表紙が珍しい装丁でした。何でも、銀塩写真現像を専門とする杉本博司氏
をイメージしたものなのだそうです。
庭園の随所には、シックな黒い制服を着た森美術館の方がにこやかに立って
おられ我々を丁寧にエスコートしてくださいました。アリガトウ!
今回のお茶会は、呈茶席が1席、展観席が2席とのことです。とりあえず、
我々一行は、秋の昼下がりの根津の苑をゆるゆる歩きつつ、寄付となってい
る弘仁亭に向かいました。
http://www.nezu-muse.or.jp/viewspots/kounintei.html
弘仁亭は、約3畳の書院がついている広々とした広間です。根津で一番
開放感があるお茶室です。私どもが伺った時は人がほとんどおらず、こ
こでゆっくり過ごすことができました。
茶会の時は閉じられている窓が全面開放され、窓からは池が見えました。
池のほとりのススキが、秋の夕暮れのそよ風にさやさやと揺れていました。
「ここの窓からはこんなにきれいなお庭が見えるのね」
ウチの師匠は窓辺に座りました。
「本当にゆっくりするのにいい場所だわ」
考えてみると、我々はお茶会の時にここでゆっくり過ごすことがなかった
のでした。。。。いつも時間との戦い。きちんとお点前せねば、数茶碗を
早く出さねば、お客を待たせないようにせねば、など慌しい気持ちばかり
でした。客の時も、一服してお道具拝見したら早々に辞去するばかりでし
た。しかし、今回の弘仁亭には、普通の茶会の時とは全く異なる空気がゆ
ったりと流れていました。
一息ついたあと、まずお床拝見。拝見するなりひらひらは腰を抜かしました。
そこに掛かっていたのはナント“紺紙銀泥大方広佛華厳経巻頭 通称二月堂焼経”。
奈良時代のもので、もともと東大寺二月堂に伝わっていましたが、寛文7年(1667年)
2月の失火のため、巻き物の天地が焼け焦げたことから「二月堂焼経」と通称されている
名経です。
きわめて凛とした筆致が賞賛され、現在は断簡として諸家に分蔵されていますが、
今回拝見した断簡は、他の断簡よりも格段に保存状態もよくまた筆跡も非常にすばらし
いものでした。
ここでも、会記のように、字の銀色が非常に印象的です。銀色がこのお茶会のイメージカラー
になっているようです。
ご参考: http://www.yamatane-museum.or.jp/html-database/shoseki(L)/A0810.html
しかし、ひらひらが腰を抜かしたのは二月堂焼経そのものに対してではありません。
表具に対してです。
江戸時代の紺地のもみ紙を上下に使用したシンプルな丸表具の横幅になっており、
しっとりした紺色が涅槃の静寂を感じさせる名表具でしたが、この表装は、ナント
今日の茶会の主人公、杉本博司氏ご自身の好みなのだそうです!
これだけの名経なら、金襴、印金など格式の高い名裂を豊富に駆使した豪華絢爛な
真の表装にするのが一般的通念かもしれません。しかし杉本さんは一文字が嫌い、
風帯も嫌いなのだそうで(苦笑)、表装�mる周囲の意見にはまったく耳を傾けず
自分の感性がおもむくままに表装させたのだそうです。
シンプルに、現代的に。それでいて奈良時代の経切の魅力を最大限に引き出した大
胆ながら品の良い表装でした。。。。。。。。。
そういえば、横幅の上下に使われた江戸時代のもみ紙はかなり大きなものでした
が、あれだけの大きさ、色合いのもみ紙、一体どこから入手したのだろう。。。。。。
実は、以前に、惺斎宗匠(表千家先々代)が昭和初期に自ら揮毫なさり私の師匠ゆ
かりの方に贈られた扇子をお分けいただき、これを表装する機会に恵まれたことが
あります。
その時はルンルン気分で表装の入門書を熱心に読みあさり、“ああいう表具もいい
ナ、こういう表具はドウかしら”とアレコレ思い悩んだのですが「やっぱり色々な
約束を心得ている専門家に任せた方が無難よッ」というウチの師匠の言葉により、
けっきょく春芳堂(京都の表具屋さん)に全面的に任せることにしたことがあります。
そういう体験から表装の難しさを実感していただけに、奈良時代の経切を自分の感
性のおもむくままに自由に表装してしまった杉本さんのスケールの大きな数寄者ぶ
りにボー然としたのでした。
ホント杉本さんすごいよ、すごすぎるよ。。。。。。。。はぁ。
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月10日19時52分
☆タイトル:【スペシャル編2】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1611)
そのお軸の前には、長方形の黒塗りの盆が置かれ、その上に青銅の経筒がありました。
承安五年のものだそうですが、承安五年って1175年ですよね。。。。。。。平清盛の娘、建
礼門院徳子が栄耀栄華を極めていた頃ですよね。。。。。。。。
奈良時代の経切幅の前に、平家物語の時代の花入という世界(汗)。驚いたのは、
その保存状態の良さです。緑錆も今まで見たものよりもおとなしく、朽ちるのが早い
共蓋がほぼ完品に近い状態で残っているのには我々一同驚嘆しました。
その経筒に山芍薬の紅い実が生けられていました。山芍薬の実とはたいへん珍し
い。。。。山芍薬の燃え上がるような真紅は見る人の目をひきつけるものがありました。二月
堂の経典を焼いた炎もこのような色だったのでしょうか。。。。。。?
ご参考:http://www4.ocn.ne.jp/~kusabana/FI-9-f-20040917yamasyakuyaku.htm
床脇には古墳時代の青銅五鈴鏡がありましたが、小さな勲章みたいな、鏡というよ
りもレリーフ芸術品みたいなもので、これまた緑錆が美しいものでした。
書院に目を転じれば、平安時代の興福寺伝来千躰佛 聖観音立像が優しく立ってい
ました。仏像という堅苦しいイメージを裏切る、しなやかな肢体で、こういう優美な
仏像もあったのかと感じつつ、遠くから拝しました。この観音様の周囲にはかつて王
朝時代に平安貴族が憧れ、夢見た極楽浄土の雰囲気がかぐわしいお香のようにただよ
っていました。。。
これは、実は若宗匠自身の念持仏でして、若宗匠はこの観音様の前で日夜観音経読
誦に勤しんでおられるそうです。その大切な観音様にわざわざ根津にご動座いただい
たのは、杉本さんが早朝に三十三間堂で千躰佛を撮影した長さ10メートルにもなる荘
重な写真作品「SEA OF BUDDHA」の連想をお客様にしていただこうとしてのことだそう
です。
ご参考:http://www.tagboat.com/contents/select/vol9.htmの下部
上記を伺って、杉本さんと若宗匠のこの茶会にかける並々ならぬ熱意をひしひしと
感じました。
これらの仏教美術の宝物群を拝見した時、私はにわかに明治時代にタイムスリップ
したような気がしました。
その昔、益田(鈍翁)さんは自分の仏教美術のコレクションを茶会に取り入れて披
露する試みをされました。これは、日本の伝統的な美術品を茶の湯に取り込む初の試
みでした。彼の試みは、現在大師会という日本屈指の茶会となって今日まで続いてお
り、毎年春先にここ根津庭園で開かれています。
この弘仁亭には、明治の頃と同じような空気が流れていました。
しかし。
今回の茶会は、今となっては遠い明治の古い茶会の焼き直しではありませんでし
た。そう感じたのは、観音様の前には並べられていたお道具の箱書を拝見したときでし
た。
おっ?
数々の箱書と一緒に、茶杓の筒と箱が3本ならんでいました。筒書きはよく読み取れ
なかったのですが、その3本のそばに置かれた大きな蓋の裏の書付だけは読めました。
『三夕茶杓 直斎(花押)』
おお、三夕茶杓。。。。。。!受付で配られた会記を確認してみると、三本の茶杓
に、三夕の歌銘がつけられていることが分かりました。
なるほど、これが今回の茶会のもう一つの重要ポイントなのか。。。。。。!
お床に三夕をテーマにした杉本博司さんの写真作品を掛け、直斎宗匠の三夕茶杓で
お茶を点てる。。。。。。。!
茶会の趣向は、一般的に、お軸と茶杓で表現することが多いものですが、お軸に現
代アートを使い、茶杓に伝統的な茶の湯を使うという絶妙なコラボレーションにひら
ひらは思わず感嘆の声を漏らしました。
茶杓というものは、数々の茶道具の中で、唯一茶人自身の手が生み出す道具であり
ます。芸術家が自分自身の手で生み出す現代アートとコンビを組む茶道具として茶
杓以上にふさわしい物があるでしょうか・・・・・・・・・・!?
この茶杓を見た時、今回の茶会は、非常に画期的な、歴史に残るべき名茶会にな
るかもしれないと感じたひらひらなのでした。
最後に、寄付 弘仁亭の会記は下記のとおりです。
床 紺紙銀泥大方広佛華厳経巻頭 通称二月堂焼経 杉本好表装
花入 青銅経筒 共蓋 承安五年九月在銘
花 山芍薬の実
脇 青銅 五鈴鏡 古墳時代
書院 興福寺伝来千躰佛 聖観音立像 平安時代
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月10日19時56分
☆タイトル:【スペシャル編3】 ひらひらレポート:杉�{&千コンビの“三夕茶会”。(1612)
さびしさは その色としも なかりけり
槙たつ山の 秋の夕暮れ 寂蓮法師
刻(とき)が来て、弘仁亭の入り口のところに森美術館の方が来られました。
「お時間でございますので、どうぞ呈茶席へ・・・・・」
私達は身仕舞いを正して立ち上がり、秋の午後の木漏れびを受けてかすかに
光る池の水面(みなも)に目を細めつつ池の石橋を静かに渡っていきました。
石の段々を上がっていくと、披錦斎に着きました。思えば、ここは、、かつ
てひらひらが生まれて初めて根津でお点前をした懐かしいところであります。
我々は披錦斎に入るなり、スッと下座の角のところに座りました。
「どうぞこちらの方に」と上の方の席を勧められても「イエ、こちらで結構
でございます」
もともと今回は控えめ控えめに徹するつもりでいましたが、下座の角であれ
ば、目立つこともなく、かつ席の全体がよく見える良いお席に座れて良かっ
たです。
下座の隅から遠くにお床を拝見してみますと、双幅が掛かっていました。
モチロン杉本さんの作品です。平成十三年に撮影した“松林図”を双幅に
仕立てたものです。こちらも渋いシンプルな表具でした。
写真は、長谷川等伯をイメージしたものだそうです。等伯といえば、出光美
術館にある松林屏風、霧の中に見え隠れする松の林をみごとに描ききった傑
作の屏風を連想しますが、この杉本さんの作品は、秋雨(あきさめ)が煙る
ようにふる日没寸前の皇居の前の大広場(ここには無数の松の植え込みがあ
ります)を散歩した時の情景のようでした。
ご参考:http://www.idemitsu.co.jp/museum/tenjimain4.html
ご参考:http://homepage2.nifty.com/kago/town/tokyo/0305hibiya/hibiya3.html
ふとお客様一同を見回してみると、若宗匠の伯父上ご夫妻、若宗匠の恩師、
畠山夫人(畠山美術館のオーナーさん)などなどがいらっしゃっていました。
昨日挙式したばかりのお友達ご夫婦もいらっしゃって華やいだ雰囲気でした。
伯父上が畠山夫人にお正客を勧められましたが、紺のスーツに白と赤の華やか
なスカーフをお召しの夫人は「イイエ、イイエとんでもない」と固辞なさり、
茶道口近くにお逃げになるほどでした。
こんな感じでお決まりの正客バトルがありましたが、茶色のお召しに袴の千
さんが席入りされ、“でしたら伯父さん、こちらへ”と伯父上を正客に、畠
山夫人を次客にすえる形でうまく正客バトルを収(おさ)められて席が始ま
りました。
ホッとして点前畳の方に目をやると、中国風の木地組子でできた風炉先屏風
が目に付きました。唐招提寺の古材で作ったもので若宗匠のおじい様、有隣
斎宗匠のお好みでした。古(いにしえ)の寧楽(なら)の都を思わせる佳品
でした。
その風炉先屏風の前に道爺作の大やつれ風炉が正面に置いてありました。風
炉の中置です。その上には藤村庸軒の書付がある子鑵釜がかかっていました。
珍しい形状でどちらかといえば小ぶりなものでしたが鴻池家伝来の名物です。
釜を乗せている五徳が珍しいことに、爪のところが釘の頭のようになってい
ました。これでしたらお釜を傷めにくいかもしれません。いいなぁと思える
五徳でした。
正面に紅白の前瓦が並んで挿されていました。官休庵流では、大きな風炉の
場合は、このようにされるのだそうです。今回拝見した風炉のやつれ具合が
どちらかといえば男性的な印象でした。表千家の家元では、やつれ風炉は作
為があるとしてお使いにならないともれ伺ったことがあります(風炉が傷む
のは、通常は口からではなく脚からであるためということらしい)。しかし、
個人的には、やつれ風炉にも名残のわびしい雰囲気がしみじみと感じられる
のでやっぱり好き。。。。。。。。
大やつれ風炉の下には、寸松庵伝来の織部敷瓦がその控えめながら美しい緑
釉を見せていました。
風炉の前の勝手付に、少し細長い茶色の壷が置いてありました。塗蓋の辺
から白っぽいなだれ釉がかかっており、とってもいい味でした。朝鮮唐津の
壷形水指でした。個人的には、このなだれ釉の自然な感じがとても好きでし
た。壷単体で見ると、かなり大ぶりでしたが、やつれ風炉がとても堂々とし
ていたので、つつましく見えました。取り合わせる道具の大きさによっては、
大きいものも小さく見えるものなのね。。。。。。。
やがてお菓子が出されました。
一閑の縁高に、虎屋黒川の“朝の海”です。羊羹を輪切りにしたような四角
い御菓子で、上が白(道明寺)、下が黒(羊羹)と上下で黒白がキッパリ分
かれたお菓子でした。いうまでもなく杉本氏の“海景”をイメージした特製
品です。虎屋ならではの餡の上品な甘さと道明寺の馥郁とした食感が相まっ
たとてもおいしいお菓子でした。
ご参考:http://www.tagboat.com/contents/gallery/detail.jsp?wid=C47
そうしていると、千宗屋若宗匠が再び席入りされました。茶器と黒楽茶碗を
持っておられます。彼はサッサッと俊敏に足を運ぶとスッと点前畳に座り、
茶碗を定座に置きつけました。
「・・・・・・・!」
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月10日19時59分
☆タイトル:【スペシャル編4】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1613)
ひらひら達は思わず顔を見合わせました。若宗匠ご自身がお点前をされるの
です!
杉本博司さんと千宗屋若宗匠のお茶会と銘打ってはありましたが、まさか若
宗匠自身がお点前をされるとは。。。。。。。。感動的な一瞬でした。
ひらひらの視線は、若宗匠のお点前に釘づけになりました。
まったく淀みがないキレのある動きが印象的なお点前でした。以前にTVな
どで拝見した時と比べて非常に男性的というか、全く自然なお点前でした。
若宗匠は、夏に冬に自ら志願して比叡の山での修行に参加されているそうで
すが、噂ではこの修行、かなり本格的で厳しいようです。そのことを耳にし
てうたためかいわゆるお茶人というより比叡の山の修行僧のお点前というイ
メージが強く感じられたような気がします。
そんなこともあって、思わず「若宗匠って、もしかしたらひらひらなんかと
違ってカナリ硬派なんじゃない?」と感じてしまったのでした(笑)。
お茶を点て終わり、正客に出されたお茶碗は、“樵夫”という銘があるノン
コウ作の黒楽茶碗でした。ビックリ。若宗匠、サッサッと全くごく自然に
お点前をしていらしたけど、ノンコウを使ってらしたのだね。。。。。。。はぁ。
次客には同じくノンコウの赤楽茶碗で銘は“姥”。
三客には藤田家伝来の絵御本茶碗で銘は“松時雨”でした。
ご銘が寂蓮法師の歌や杉本さんの“松林図”と見事に呼応しているお茶碗でした。
「現代アートと伝統的なお茶がこんなにすばらしい形で結びついているのを
拝見することができてうれしい」と参席者の方々は口々にその喜びを語って
おられました。
出雲樂山焼の数茶碗が大きな一枚板のお盆に載って我々連客一同に出ました。
今回のお茶会のために、若宗匠の友人方がボランティアで参加されたのだそうで
す。
プロがなさる時のようなソツのないお運びではありませんでしたが、皆さま
本当に一生懸命なさっておられました。。。。。。お疲れ様でした〜。
いただいたお茶は、とてもやさしい味がしました。お詰めは柳桜園だそうです。
お点前が終わり、点前畳から道具を出す辺りに紫の使服紗が敷かれ、お茶碗な
どが並べられました。私達はお道具の前にいざり寄ってお道具拝見。
お茶器は紹鴎好の竹中次でした。大ぶりの竹を切って作った中次でした。外側
は溜色に塗ってありましたが、お運びの男性にお願いして中を拝見させていた
だきますとしたら黒塗りになっておりました。合口は普通の中次のようになっ
ていましたが、竹でこのようなものを制作するのは難しいのでは。。。。。。。。
直斎宗匠の御花押は蓋裏ではなく底にありました。
お茶杓は直斎宗匠の竹茶杓、“三夕”の内で銘は「槙立つ山」。茶杓の景色な
どを詳述できればいいのですが、茶杓にはあまり詳しくないためうまくできませ
ん。。。。。。申し訳ございません。たしか寂竹だったと思います。。。。。。
主茶碗は「ノンコウ 黒 銘 樵夫 一双の内」でした。高台を拝見したかった
のですが、断りもなく手に取るのはためらわれたので、お運びの男性に茶碗を
ひっくり返していただこうと思い「あの、底はどのようになっておりますでし
ょうか。拝見させてくださいませ」と声をかけましたら、若宗匠から「どうぞ
お手に取ってご覧下さい」という思いがけないお言葉。
戸惑ったのでウチの師匠に“触ッチャッテモイイノ?”と目顔で伺いましたら
“今回ハ大丈夫ダト思ウ”とうなずかれたので、おそるおそる拝見いたしました。
ひらひらだけでは勿体無いので、宗旦狐さん方にも「さあドウゾ」とお勧め
しました。
ひら茶事のたびに三島からはるばる駆けつけて下さる宗旦狐さんは目を輝か
せて丹念に拝見されていました。いつもウチの茶事で懐石を担当されている
ひら友、そしてウチの茶事やひら師匠のプライベートな茶会で厳しいシゴキ
に顔面蒼白になりつつもガンバって半東をして下さっている若いひら友も喜
色満面でご覧になっていました。
いつもひらひら茶事を助けてく�黷トいる方々にお楽しみいただけたことが、
実は、今回の茶会で一番嬉しいことだったような気がしています。。。。。。
ノンコウは体格が大変立派な人だったそうですが、そのためかこのお茶碗も非
常に大ぶりでした。しかし極めて薄作りで、実際に両掌で持ってみると、外観の
イメージとは反対に軽い印象がしました。釉は光沢があり、かすかに幕釉のよ
うなものがありました。同種の釉薬を二度掛けしたようで、釉溜りがところどこ
ろに出てそれが幕釉のように見えたのかもしれません。。。。約束の鋏み跡も
拝見できました。
高台を拝見してみるとやはり総釉になっておりました。高台の目跡は5箇所ある
のが約束との事ですが、私にはよく判別できませんでした。5箇所あるといえば
そのような気もする。。。。。。。。感じでした。
樂の落款は、高台の中に捺されていました。大きい印でした。
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月10日20時01分
☆タイトル:【スペシャル編5】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1614)
替の赤楽も大振りなお茶碗でしたが、釉調は赤の中にところどころに白い釉が
出ていました。縦方向に刷毛目をつけたような感じで、白髪を連想させるもの
がありました。“姥”とは大変ピッタリな銘です。。。。。。。。いくぶん小
さな落款が高台の脇にありました。
この黒楽茶碗と赤楽茶碗は一双になっており、老夫婦のように見えます。もと
もとは別々にあったのですが、木津宗詮宗匠がこの二碗を娶(めあ)わせて箱
を作り、書付をされています。
木津家は、表千家中興の祖如心斎の夫人“正”刃自の実家である住山家と姻戚関
係にあり、松平不昧公の紹介によって一啜斎宗匠と出会って以来官休庵流の宗匠と
して代々家を守っておられる名門です(ご当代は6代目)。個人的な話になります
が、古美術店などで「素敵だな」と思うお道具と出会うことが時々ありますが、
そういうお道具に限ってなぜか木津家3代の宗泉宗匠のお書付があることが多い
のです。そういうこともあって木津家のことは個人的に気になっていたのですが、
同じ木津家のお箱があるこの対のお茶碗もすてきでした。。。。。。。。
三碗目の「絵御本 銘 松時雨 藤田家伝来」も大変印象的なご銘で良かったので
すが、ゆっくり拝見する時間が取れず、とても残念でした。。。。。。
床脇には、古墳時代の管玉が飾られていましたが、実際に拝見してみると、
ノートパソコンと同じぐらいの大きさの白いボードに、ごくごく細くて短い
管が整然と標本のように並べられていました。でもその並べ方にはどことな
く幾何学的な並べ方になっており、杉本さんらしい美意識が伺えました。
しかし、それよりも驚かされたのは、これだけの数の管玉を蒐(あつ)め
ただけでもすごいのに、それを独自のアートにしてしまう点には圧倒され
ました。
これ、1kmの管を1mずつに分割して均等に列した現代美術作家ウォルター
デマリアのインスタレーション「ブロークンキロメートル」の本歌取りで
「ブロークンミリメートル」なんだそうです。
「ブロークンミリメートル」を和訳して「厘細録」(りんざいろく)。
ドウやら、コレ、駄洒落らしい。。。。。。ちょっと高尚過ぎるような気が
しないでもないのですが、ひらひら、やっぱりここで笑った方がいいのかし
ら?(苦笑)
香合は唐時代の舎利容器でした。昔は、国家が建立する仏塔の基礎部分に
�゚尊(お釈迦様)の遺骨(仏舎利といいます)を納めて仏の御加護を祈る
習慣がありましたが、その器を入れたものです。
日本では、聖徳太子の発願による斑鳩は法隆寺の五重塔の下に仏舎利が納
められているという神秘的な言い伝えがありますが、唐時代の渡金(金メ
ッキ)の剥落が時代を感じさせるこの香合にはおなじく神秘的なものを感
じさせました。。。。。。。。。
それにしても、華を感じさせるものは、わずかにこの香合と古染付の桔梗
蓋置だけという非常に渋い、そしてどことなく唐国ぶりというか、杉本さ
んの作品にも見られる悠久な時の流れを感じさせる道具組みでした。
最後に、このお席の道具組みは下記のとおりです。
薄茶 披錦斎
床 杉本博司 松林図 双幅 平成十三年
脇 銘「厘細録」 古墳時代 管玉
香合 渡金 古塔心礎舎利容器 唐時代
釜 名物 子鑵釜 藤村庸軒箱 大文字屋 鴻池家伝来
風炉 鉄 やつれ 愈好斎箱
敷瓦 織部
先 有隣斎好 唐招提寺古材
水指 朝鮮唐津 壷形
茶器 紹鴎好 竹中次 直斎在判
茶碗 ノンコウ 黒 銘 樵夫 一双の内
替 ノンコウ 赤 銘 姥 一双の内
替 絵御本 銘 松時雨 藤田家伝来
茶杓 直斎 共筒 三夕の内 槙立つ山 共箱
蓋置 古染付 桔梗
建水 塗曲
菓子 銘 朝の海 虎屋黒川製
器 一閑 縁高
(続)
# 続編は、展観席2席の報告です。
# 週明けに投稿する予定です。どうぞお楽しみに!!!!
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☆ハンドル名:ロレンス 様(07618)
☆投稿日時:11月11日1時09分
☆タイトル:Re: 【スペシャル編5】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1615)
ひらひら様
ロレンス=官休庵の泡沫会員です。
素晴らしい、垂涎のレポート、興味深く拝見しました。
根津の茶会は聞いておりましたが、残念ながら同日に教室の茶会があり、目白の焦
雨園で、当代木津宗詮宗匠の目の前で、緊張しつつ点前をしておりました。
続編を心待ちにしております。
> この黒楽茶碗と赤楽茶碗は一双になっており、老夫婦のように見えます。もと
> もとは別々にあったのですが、木津宗詮宗匠がこの二碗を娶(めあ)わせて箱
> を作り、書付をされています。
> 木津家は、表千家中興の祖如心斎の夫人“正”刃自の実家である住山家と姻戚関
> 係にあり、松平不昧公の紹介によって一啜斎宗匠と出会って以来官休庵流の宗匠と
> して代々家を守っておられる名門です(ご当代は6代目)。個人的な話になります
> が、古美術店などで「素敵だな」と思うお道具と出会うことが時々ありますが、
> そういうお道具に限ってなぜか木津家3代の宗泉宗匠のお書付があることが多い
> のです。そういうこともあって木津家のことは個人的に気になっていたのですが、
Ø
同じ木津家のお箱があるこの対のお茶碗もすてきでした。。。。。。。。
☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月23日22時17分
☆タイトル:【スペシャル編6】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1622)
# 遅くなりまして申し訳ございません。続編です。。。
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ澤の 秋の夕暮れ
西行法師
「さあ、お道具をご覧になりましたらどうぞコチラに。。。。。。」
披錦斎でノンコウなどすばらしい数々のお道具を間近に拝見して
感激さめやらぬ我々は、披錦斎に隣接している一樹庵に通じる襖
の向こう側に通されました。一樹庵は3畳台目の小間です。
“おお・・・・・!”
一樹庵のお床の前に座ると眼前に華厳瀧の静かにして雄渾なる
威容が広がってきました。
高低差98米もある瀧の威容だけではなく、滝つぼから巌間を縫
うがごとく沢をほとばしり出る奔流の白浪(しらなみ)も見え
ます。また瀧の瀧壁から出ている十二の小さな瀧の小瀑布、そ
してこの滝つぼからわき上がる霧にかすみゆく日光の深山も。。。。。。
このように日本の三大名滝の一つを気高く描きあげた高華偉麗
なる水墨画がお床に掛かっていたのでした。
この秀逸な水墨画の筆者は誰なのだろう。もしや牧谿の筆にな
る秘められた名品かしら?
。。。。。。。。。。。。。。。と思ったのですが、ナントこ
れも杉本博司さんの写真作品なのだそうです(ビックリ)。
すなわち「杉本博司 華厳瀧図 昭和五十二年」。
嗚呼、牧谿の傑作を圧倒する杉本さんの写真の美しさ、その幽
厳さ。まさに写真の絵画に対する勝利、写真の神秘。。。。。。。。。。
実は、正直言って、華厳の滝は、あまり好きな滝ではありません
でした。
この滝は三大神滝の一つと云われてはいますが、個人的には、む
しろ“明治36年に高校生 藤村操君を惑(まど)わせ、死に誘(い
ざな)った魔性の滝”という印象があったためです。自殺の名所
という華厳の滝が持つもう一つのイメージの方が強かったのです。
ご参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%93%8D
確かに、“万有の真相は唯一言にしてつくす、 曰く「不可解」”
と断じて華厳瀧に身を投げた藤村君の死には、インテリに憧れた
ナイーヴな明治の男の子が少し頭でっかちになりすぎた結果早ま
ってしまったという感がしないでもないのですが、それでも死を
目前にした彼に死を思いとどまらせるどころか、瀧のそばにあっ
たナラの木を削ってかの有名な名文の遺書『巌頭乃感』を書きつ
けさせるほど幻惑的なものを持っている華厳瀧に、どうしても一
種の妖(あや)しさを感じてしまうのです。。。。。。。。。。
しかし、杉本博司さんの作品 華厳瀧図にはそういう魔性は全く
感じられませんでした。むしろ“涅槃の滝”“日本三大神滝”に
ふさわしい静謐がありました。
この作品を拝見していると、もしかしたら、華厳瀧にとっては、
藤村君や彼を追って滝つぼに身を投げた明治の青年乙女たちは、
白い牡丹の花にのぼり、そして風に払い落とされるか弱き蟻
(あり)のような気がしてきました。。。。。。。。。。。
心なき 身にもあはれは 知られけり。
“涅槃の滝”“日本三大神滝”の前には、木彫で白檀の一材を
掘り出した懸仏の丸い彫刻が飾られていました。傍らの手燭の
灯りに照らされてあまりにも清々しく輝いていたので、黄金の
板かと見間違えたほどです。
この懸仏は南都春日大社の四柱の神の御本地仏薬師、釈迦、十
一面、地蔵に若宮の本地文殊を現していました。鎌倉時代の
春日五所本地佛御正躰というもので、東大寺の銘がありました。
本来春日は興福寺の直轄でしたが墨書の東大寺の銘がある品は
珍しいものなのだそうです。
この床飾りは、瀧壺から仏が神として顕現されるさまを再現し
たものなのだそうです。。。。いわば、本地垂迹のビジュアル
化ですね。
ご参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9%E8%AA%AC
どうやらこのお席では、“神性”が隠しテーマになっているよ
うですね。そういえば杉本さんの作品には、神道をテーマにし
たものもあったのでした。。。。。。
ご参考:
http://burari.at.webry.info/200508/article_6.html
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月23日22時19分
☆タイトル:【スペシャル編7】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1623)
お床の間から点前畳に視線を移すと、お道具が飾り付けてありま
した。
まず炉を拝見しますと、法隆寺古材の炉縁(愈好斎箱)に加賀大
聖寺前田家伝来の常張鐶付の天明丸釜が松風を閑(しず)かに奏
でていました。
この法隆寺古材の炉縁は、大変寂びたものでしたが、伺ったご説
明によると、非常に軽いものなのだそうです。箱に入れても空な
のかと思われるほどなのだそうです(驚)。確かに古い時代の茶
杓は時代による乾燥のためか非常に軽いものが多いのでした。ま
してや1400年の歴史を持つ法隆寺の古材は。。。。。。(汗)
本地垂迹の席にふさわしい炉縁でした。
常張鐶付の天明丸釜は利休所持なのだそうです。砕銭釜のような
ざっくりした釜肌が魅力的なこのお釜を実際に炉に掛けた状態で
展観して下さるとは。。。。。。。。。実際の茶会に近い状態で
拝見させてくださるそのご配慮が何よりも嬉しかったです。
点前畳にはすがすがしい木地曲の水指が置かれていました。
神前の高杯や三宝などは木地で作られていますが、聖なる滝の前
でのお点前に使う水指として木地曲以上にふさわしいものがある
でしょうか。。。。。。?
そして炉辺には紫服紗が敷かれ、お茶碗、お茶入、袋、お茶杓が
飾られていました。
お茶碗は平安時代の猿投 灰釉茶碗でした。
このお茶碗、ひらひらが過去に出席した数々のお茶会で最古の
御茶碗でした(汗)。今後も、平安時代より古い御茶碗が茶会に
出ることは、おそらくないかも。。。。。。。。。。。。。
銘は「御蓋」で“三笠”。見込みの丸いクスリ抜けから春日のご
神体山である三笠(御蓋)山の月をイメージして若宗匠が銘名な
さったものだそうです。
このお茶碗、若宗匠が奈良で偶然出会い、この茶会のためにと即
刻お購(もと)めになったのだそうですが、床の間にある春日五
所本地佛御正躰とのなんと見事な呼応。。。。。!
お茶入は、益田鈍翁旧蔵の利休在判黒小棗(元伯宗旦、如心斎箱)
でした。蓋裏に大きく利休居士のケラ判がありました。宗旦狐さ
んなどひら友一行もおそるおそる手にとって拝見されていました
が、利休居士の「棗は粗く塗れ」という教えのままに塗られた感
じがする黒小棗は、時代を経た黒漆が何ともいえない感じで透け
ていて、利休居士が理想とした侘びを感じさせる小棗でした。
これには相良間道の袋が添っていました。
茶杓は、直斎作の竹茶杓、共筒共箱の三夕茶杓のうち“鴫立つ澤”。
前回のレポートで「茶杓のことは分からなくて」と書きましたら、
俊様からDMを頂戴し、下記の書籍に今回出た三夕茶杓の写真が
載っていることをご教示いただきました。俊様、アリガトウ!!!
『茶道具の世界7 茶杓』責任編集:池田巌(淡交社刊行)
この本、とてもいいです。ビジュアルなので茶杓の見方がよく分
かります。お蔭様でいいお勉強をさせていただきました。
ご興味のある方はこの本の106ページをご覧ください。直斎宗匠の
代表的な作品、三夕茶杓を写真で鑑賞できます。
このお茶杓は、樋(ひ)の中心が高く盛り上がった竹で、胡麻と
染みが重なった斑紋が4箇所に散っているお茶杓でした。この斑
紋は立つ鴫を象徴しているのでしょうか?節下は太めでやや短い
感じです。櫂先は先へ細い丸櫂先でした。味わい深い茶杓でした。
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月23日22時20分
☆タイトル:Re: 【スペシャル編7】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1624)
実は、この席で心ひかれたのは紫明庵旧蔵の南蛮砂張建水でした。
個人的に、�熨ョの中では、砂張の柔らかい金味がとても好きでし
て。。。。。。。。。。。また益田紫明庵が所持していたという
伝来も興味深く。。。。。。。。。。。
益田紫明庵は、本名は益田たきと云い、益田鈍翁の側室だった人
です。彼女は、夫鈍翁の茶事で財界茶人たちが交わすビジネス談
話を水屋などで聞き集め、そこから得た情報を活用した株式投資
で成功して財を成し、その潤沢な財力で夫鈍翁に劣らぬ優品を買
い集めたという冷静沈着な女傑茶人です。目筋も鈍翁以上によく、
現代も茶道具市場でお道具に益田紫明庵の箱がついていると価格
が一段上がるほどです。
(現代ならインサイダー取引でタイホされてしまうところですが
(笑)、明治大正の頃は“さすが鈍翁に愛された女傑、大茶人”
と賞賛されたというから時代の変化というものは本当に分からな
いものですネ)。
そんなこともあって、思いきってわがままを申し上げて建水の
拝見を乞いました。そうしましたらひらひらの膝前に建水を出
してくださいました。
この時フト脳裏に思い浮かんだのは、故乾豊彦氏(前光悦会会長。
元表千家同門会兵庫県支部長)でした。彼も茶人としてお道具を
深く愛しておられましたが、そんな彼にはある逸話があります。
氏も生前ある席で砂張のお道具を拝見されたことがありました。
その時、彼はスッとポケットから紫の使い服紗を取り出され、そ
の服紗で砂張のお道具を扱いつつ拝見されたそうです。砂張は非
常にデリケートな金属で、手の脂がついただけで金味が変わるこ
とがあるのですが、氏の所作はそのことを十分ご存じの上でのこ
とでした。それだけに氏の所作を見た周囲の方々は「さすがお道
具を深く愛好されている方だけある」と感嘆されたそうです。
ヨシャ、ひらひらも乾サンのマネをしようっと。。。。。。。。。。。
ひらひらも懐中からわざわざ友湖の使い服紗を取り出して建水の
縁にソッとかぶせ、その上から建水を取って南蛮砂張の金味と建
水の形状を丹念に拝見しました。おそらく昔の東南アジアで、食
事用の鉢として製(つく)られたもののようで、飾り気のない実
用的な形でした。でも寸法も形状もまさしく建水として好適。
「益田のじいさんはヒトのものを欲しがる悪癖があってネ」と鈍
翁の主家筋に当たる永坂町様(三井泰山氏)をグチらせることさ
えあったほど道具熱にうかされることが時々あった鈍翁と違って、
常に怜悧ながら女性らしい、生活に根ざした実用的な視点も捨て
ることがなかった紫明庵の眼を感じさせる佳品でした。。。。。。。。。。
しかし、建水を拝見に出して下さった方の顔に、少し戸惑いの表
情があるのにひらひらは気がつきました。気になって傍らのウチ
の師匠の顔をチラリと見てみましたが、同じく少し戸惑った表情。
な、ナゼかしら?
麹町に戻った後、おそるおそるウチの師匠に「あの時のひらひら
の所作、マズかったのでしょうか?」と伺ってみました。
「いや、マズくはないかもしれないけど、あなた、服紗を通して
とはいえ、片手で建水を持って拝見してたでしょ。あれ、見るヒ
トによっては道具屋みたいに見えたかもしれないわね」
「あ、あうあう・・・・・・(汗)」
イエ、別に賞賛されたくて乾さんのマネをしたわけじゃないの。
ま、少々カッコつけたい(数寄者ぶりたい)キモチが全くなかった
といえばウソになるかもしれないけど(苦笑)、やっぱり年季というも
のが全然違う人間がマネしてもかなわないということ
で。。。。。。。。。。。。。。。はぁ。
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:11月23日22時26分
☆タイトル:�yスペシャル編9】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1626)
気を取り直して蓋置を拝見。青竹でした。そのすがすがしい青色に、
炉開きという茶の正月という季節に加え、今回の杉本さん主催の茶
会の無事開催を寿ぐ若宗匠のお心入れが感じられましたが、それ以
上に本地垂迹の席にふさわしく“明(あか)き直(なお)き清(き
よ)き”雰囲気をキリッとかもし出していました。
唐藍彩の丸香合は台目畳の棚の上に飾ってありました。拝見した建水
を点前畳の定所にお返しする時に少しの間だけ拝見しただけなのですが、
中国の古陶磁には疎いこともあり、「唐三彩という焼物は知ってるけど、
唐藍彩というものもあるのね。知らなかった。。。。。。。。。。。。。
発掘品の染付みたいな、カセ肌の侘びた感じだね」と感じた程度でした
が、これ、藍一色の藍彩で非常に珍しいものなのだそうです。
藍色は暗い呉須の色に似ていたような気がしますが、置いてある場所
が暗かったこともあり、もしかしたらひらひらの見間違いかもしれま
せん。
このお席では、神秘の瀧に本地仏を床にしつらえることにより、本地
垂迹を趣向として、神道的な美意識という日本の美の原点を茶席にと
りこもうとする試みがなされていたそうです。
そのために、須恵器の茶碗に、木地曲の水指、黒塗り棗、青竹、砂張
などまるで神に捧げる伊勢神宮でお茶を点てる時をイメージした道具
組みにされたそうです。
このお話を伺ったとき、以前に、女官として宮中三殿賢所に奉仕して
いた姉弟子に特別に下賜された賢所御料の神饌用素焼食器を、畏れ多
くも抹茶碗として使わせていただいたことを思い出しました。
賢所の御料品を使わせていただいたことがある立場から拝見すると、
このようなご趣向で須恵器のお茶碗を使うのは大変な冒険のような気
がしました。
というのは、神前で使うものは一回きりの使い捨てが基本。つまり神
前では古い品物は基本的に使わないのです。
# じつは、上記の御下賜品の食器も本来は、使い終えたらすぐ破却す
# るはずだった品なのです。私どもが使わせていただくことができた
# のは、先帝陛下の姉弟子に対する慈悲深き大御心あってこそなのです。
ですから、平安時代の古い須恵器茶碗(山茶碗)を神前で使う場合は、
取り合わせに非常に気を使う必要が出てきます。たとえばこの茶碗に
根来の薬器などと取り合わせると一気に野暮ったいというか神前から
かけ離れた、山寺くさい雰囲気になってしまいます。。。。。。
そういうこともあって、杉本さんと若宗匠は、神前で使うにふさわし
い木地曲の水指、青竹、砂張を意識的に取り上げられたそうです。
上記に加えて利休在判黒塗棗を取り合わせましたが、このお棗が神前
の茶席としての格調をこの上なく整えていました。さすが利休形です。
こういう高い見識とまだ30歳前後とは思えないほど老練な道具組みは
さすが若宗匠だけあります。。。。。。。
また、こういう道具組みを見事に決めることは、利休の直系という正
統的な立場にある若宗匠にしかできないことだなという印象もしまし
た。
そんな若宗匠は、茶会が終わった後も自ら率先して杉本さんとともに
お客様のご挨拶や応対に出られていらしてて大変お忙しそうでした。
でも外国人のお客様(たぶんアート関係の方だと思う)には英語でご
挨拶するなどお客様それぞれに合わせて適切、臨機応変に応接してお
られ、かつご挨拶があったお客様にはそれぞれ自ら引菓子(紙袋には
虎屋のマークがありました)をキッチリ渡しておられるなど遺漏なく
細やかなお気遣いをなさっておられました。
後から聞いた話では、遅れてきたお客様のために急遽もう一席追加す
ることをお決めになったそうです。臨機応変なご対応です。
上記は、俊敏に動ける若さだけではなく、客と同じところに降りて自
ら応対しようとする若宗匠のご姿勢あってこそのもののような気がし
ます。
点前が終わっても全く気を抜かない若宗匠のこのようなご亭主ぶりに
は大いに学ぶものがありました。。。。。。。。。。
このように、この展観席は、呈茶席に劣らぬ悠久の時の流れと、日本
の原点である神道(かんながらのみち)の美を感じさせる、そして小
間席ならではの荘重さをかもし出した名席でした。
最後に、この展観席の会記は下記のとおりです。
一樹庵
床 杉本博司 華厳瀧図 昭和五十二年
前二 春日五所本地佛御正躰 東大寺在銘 鎌倉時代
香合 唐藍彩 丸
釜 利休所持 天明丸 常張鐶付 加賀大聖寺前田家伝来
炉縁 法隆寺古材 愈好斎箱
水指 木地曲
茶入 利休在判 黒小棗 元伯宗旦 如心斎箱 益田鈍翁旧蔵
袋 相良間道
茶碗 猿投 灰釉 銘 御蓋 平安時代
茶杓 直斎 共筒 三夕の内 鴫立つ澤 共箱
蓋置 青竹
建水 南蛮砂張 紫明庵旧蔵
次回は、3番目の展観席の報告です。どうぞお楽しみに。。。。
(続く)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:12月2日21時39分
☆タイトル:【スペシャル編10】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1650)
# お待たせいたしました。最終レポートです。。。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ
藤原定家
一樹庵を辞去した我々はもうひとつの展観席がある斑鳩庵に向か
いました。斑鳩庵には、白木の色も鮮やかな寄付が新しく増築さ
れておりました。私はこの寄付に入るのは初めてでした。
おそるおそる寄付に入ってみますと、そこには松花堂の細長いお
軸がかかっていました。
下の方に笠と杖が薄墨で淡々と書かれておりました。上の方に
清巌和尚の賛がありました。
「脚頭逆順起清風 一笠家々屡往還」
実は笠と杖で西行法師を表したのだそうです。本来ならば西行法
師の歌をテーマにした前席一樹庵の寄付で掛けるべきでしょうが、
海景は同時に鴫立つ澤の大磯も同じですので、あえてここで出す
ことにされたそうです。
宗旦狐さんはそのお軸をうっとりと拝見されていました。彼は松
花堂が大好きなのだそうです。私もこのお軸の余白の美に感じる
ものがありました。。。。。
お軸の前に並べられたお箱を拝見したあと隣接している本席に入
りました。
うす暗い本席のお床には有名な“海景”の連作のひとつが掛かっ
ていました。昭和六十一年に北海道で撮影した日本海の情景だそ
うです。その海は静かに凪(な)いでいました。日本の北の海が
こんなに静かな表情を持っているとは意外。。。。。。。思わず
見入ってしまいました。
この作品は軸装では最初期のものなのだそうで、メトロポリタン
美術館の東洋美術修復室で表具されたと伺いました。本紙に光沢
がありましたが、オリジナンルプリントをそのまま表具されたた
めだそうです。これも紙表具でした。
若宗匠も紙表具がお好きと伺ったことがありますが、紙表具を愛
好するという共通点を持つ杉本さんと若宗匠、こういったところ
からも何かお互いに相通じるものがおありなのでしょう。
床の前には四角い箱の中にぼうっと青白く光るものが入っていま
した。神秘的なその光に吸い込まれるようにして箱の中を見てみ
ますと、カシミールサファイアみたいに碧(あお)いガラスがた
くさん入っていました。古墳時代のガラス玉なのだそうです。箱
は時代経箱でした。
むかし、奈良は斑鳩の法隆寺の五重塔の基部に納められた仏舎利
(釈尊の遺骨)も青白く光る数個の米粒のようなものだったとい
う言い伝えがありますが、同じ青色であることからこの古い言い
伝えを思い出しました。
古い経箱の中に広がる母なる深い青い大海。。。。。。もしかし
たら、これは杉本さんと若宗匠の仏教観なのかもしれない。。。。。。。
と感じつつ拝見しました。
そうしていると、私たちがお床の拝見を終えたのを見はからうよ
うにして斑鳩庵の灯りがつきました。
点前畳には了全が造った小ぶりな眉風炉がありました。紹鴎好み
の眉風炉です。浦の苫屋ですからやはり紹鴎のものが一つは欲し
い。ということで、これをお出しになったそうです。
火間からは繊細なうろこ灰が見えました。うろこ灰の中には、炭
火が名残の季節の小間を彩っていました。先刻に薄闇の中で文字
通り紅一点となってたのを思い出しつつ風炉の中を拝見しました。
「本当にすばらしいうろこ灰ね」
ずっと無言だったウチの師匠がとつぶやきました。
「ありがとうございます。昨日灰を作りましてここに運びました」
とにこやかな表情で説明係の男性がおっしゃいました。
「マア、それは本当に大変だったでしょう」
眉風炉の上には、古浄味造の宗旦好の口四方尾垂釜。秋らしいお
釜でしたが四角い口が珍しいです。。。。。。。。
「このお釜は杉本博司さんが初めてご自身でお購(もと)めにな
られたものでございます」
フムフム、杉本サンもなかなかの渋好みなのね。。。。。。しかし
初めて買う茶道具が釜というのもまた渋いというか珍しい�ニいうか
。。。。。。。。
お釜の勝手付には文叔の判がある宗旦作の竹蓋置が置かれていま
した。拝見所望したかったのですが、柄杓がかかっていたので、
やむなく遠慮しましたが、時代がいい色を出していた竹蓋置でし
た。個�l的には、各席で一番好きな蓋置だったような気がします。
お釜の隣には寸松庵伝来の南蛮縄簾がありました。
以前に春海商店が所蔵している3つの南蛮縄簾水指のうち1つをあ
る茶席で拝見したことがありますが、やや焦げ目があったそれと
は段違いに静かな佇まいでした。細かく入った縄目が柔らか味を
かもし出しており、伝来の良さを感じさせます。。。。。。。。
水指の中を拝見してみましたら清水がたたえられていました。水
をたっぷり吸った土物水指がこんなに美しいとは。。。。。
この水指の蓋が金属のような感じだったのでお伺いしてみました
ら、やはり塗りの蓋でした。
「おそらく火に遭ったことがあるのだと思います。そのために塗
りがこのように焼けた色になってしまったのでしょう」
そのようなお話が係の方からありました。
(続く)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:12月2日21時41分
☆タイトル:【スペシャル編11】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1651)
点前畳の前に敷かれた紫の服紗の上には、茶入、茶碗、茶杓が鎮座
していました。
茶入は利休瀬戸でそつ啄斎の箱が添っています。銘�ヘ枯木とあり
ました。文字通り、枯木のような枯淡な雰囲気のあるお茶入で、
茶入の底もホントに枯木かと思ってしまうような感じでした。。。
花も紅葉もない。あるのは枯木だけ。でも枯木も山の賑わい(笑)。
シャレはさておき虚無を感じさせる良い雰囲気の茶入でした。
この茶入には、そつ啄斎好紹巴、紺地牡丹唐草文緞子が添ってい
ましたが、それは寄付に飾ってありました。
茶碗は、雲州蔵帖所蔵の刷毛目茶碗で松平不昧の箱がついていま
した。箱を寄付で拝見しましたが確か二重箱だったと思います。
どことなく大海を感じさせる、やや平たい大ぶりなお茶碗でした。
刷毛目茶碗は、近代に鶏龍山で大量に発掘されてからは�齡ハ的な
ものになってしまったようですが、そういう発掘品とそれ以前に
日本に伝わって茶人の愛玩を一身に受けてきた伝世品の間にはそ
の格に雲泥の違いがあります。
松平不昧が愛蔵したこの刷毛目茶碗には伝世品だけが持ちえる雅
味がありました。それを一番感じたのは茶碗の見込みを拝見した
時です。数百年間土中に埋もれてきた発掘品とは違って、時々蔵
から出されて抹茶を吸ってきた茶碗の見込みには一種の円(まど)
かさがありました。そして仕覆に大切に包まれて百年(ももとせ)
を幾度か閲(けみ)してきた茶碗についた独特の時代。。。。。。
あれ!?
茶杓に視線を移したひらひらは、大きく両眼を見開きました。
「あの、これも三夕茶杓のひとつですか?」
ひらひらは凛々しい面立ちの説明係にお伺いしました。
「はい、そうでございます。“浦の苫屋”でございます」
「ずいぶん他の二本と雰囲気が違うのだね・・・・・・・・」
この茶杓は、白竹に幅に抑揚のない寸胴形のシンプルな茶杓でし
た。削りたてのように新しいのですが、他の二茶杓にあるような
景色がこの茶杓には何もないのです。
ここでハッと思い出したのは、“見渡せば 花も紅葉も なかり
けり”という歌でした。景色も何もないこの茶杓に見どころとな
るような“花も紅葉も”ないのは当然なのでした。。。。。。。。。
「う〜ん、直斎宗匠のセンス、とてもすごいよ・・・・・・はぁ」
前の席と比べて淡々とした雰囲気のある席でした。淡々としている
だけではなく、どこか大きな“無”を感じさせる席でもありました。
“何もないところに来てしまった”
でも、考えてみれば、もしかしたらこれが悟境というものなのかも
しれません。そしてその悟境というものは、昔も今も未来も変わら
ない海景のようなものなのかもしれません。
考えてみれば、利休居士も茶の湯がどういうものなのか悟りを開き、
その境地を“見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋
の夕暮れ”という“虚無”を詠った和歌に仮託されたのでした。
呈茶席では悠久の時の流れを。
一樹庵では神道(かんながらのみち)の美を。
斑鳩庵では仏教的な虚無の世界を。
それぞれの席で、それぞれのものを味わうことができた秋の午後の
一日でした。
(続)
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☆ハンドル名:ひらひら 様(01945)
☆投稿日時:12月2日21時42分
☆タイトル:【スペシャル編12】 ひらひらレポート:杉本&千コンビの“三夕茶会”。(1652)
実は、若宗匠はこの12月に30歳のお誕生日を迎えられます。このお
茶会は、若宗匠にとって20代を総括する重要な仕事だったようです。
それだけに、このお茶会では、若宗匠みずから案内状・会記のデザ
インからお礼状、水屋見舞い返しのデザイン・オーダーまでなさっ
たそうで、茶会スタッフの方々から見ても、このお茶会への彼の打
ち込みようには、大変情熱的なものがあったと伺いました。
確かに、茶道具、現代美術、仏教美術と若宗匠自身が持っておられ
るテーマを融合させた雄大な広がりを感じさせるものでした。。。。
「本当にありがとう存じました」
我々は説明係に丁重にお礼を申し上げて斑鳩庵を辞去しました。
帰るさに思い出されてきたのは、光悦寺の山下恵光宗匠でした。山下宗
匠はご著作などで事あるたびに下記のように嘆かれていました。
「近年、すばらしい道具の多くは相続などのために美術館など収まると
ころに収まってしまっている。そのため釜は実際に炉や風炉に掛けられ
ることもなくなり、花入も実際に花を活けてもらえなくなっている。実
際にこれらを借り出すと学芸員がついてきて水を入れるな、火にかける
ななどと言ってくる。こんなではどうやって茶を点てられよう。これで
は抜け殻だ。道具があまりにもかわいそうすぎる」
しかし、若宗匠は実際の行動を通して“道具は使うもの”ということを
参席者に訓(おし)えておられました。
次世代の茶道界を担う方が、美術館主催の茶会で実際に主茶碗でお茶を
点てておられるのです(光悦会でも主茶碗でお茶を点てるようなことは
していません)。内輪の茶事や茶会ならともかく、客を一般募集してい
る大寄せ茶会でそういうことをするのは非常に珍しく画期的なことなの
です。
今すぐは無理かもしれませんが、官休庵様の若宗匠が今回のような活動
を地道にお続けになれば、ゆくゆくは若宗匠と同じ世代の学芸員さんた
ちが中堅や責任者になってきた頃には、各美術館でも時々館蔵品を実際
に使った一般公開の茶会を催すことも徐々に増えてくるのでは。。。。。。。
そういう“夢”を感じさせるものがありました。
それだけに、山下宗匠が、今日のお茶会をご覧になったらどんなに喜ば
れただろうかと感じさせられるものがありました。
このように、いろいろ思うことが実に多い、佳(よ)きお茶会でした。
。。。。。。。。。ここでひらひらレポートは了(おわ)ります。
皆様、長々と失礼いたしました。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
最後に、この席の会記は次のとおりです。
斑鳩庵
床 杉本博司 海原 日本海 北海道 昭和六十一年
前二 銘 「瑠璃の浄土」 時代経箱 古墳時代ガラス玉
釜 宗旦好 口四方 尾垂 古浄味造
風炉 土 道安形 了全造
水指 南蛮縄簾 寸松庵伝来
茶入 利休瀬戸 銘 枯木 そつ啄斎箱
袋 そつ啄斎好紹巴 紺地牡丹唐草文緞子
茶碗 雲州蔵帖所蔵
刷毛目 松平不昧箱
茶杓 直斎 共筒 三夕の内 浦の苫屋 共箱
蓋置 宗旦作 竹 文叔在判
建水 木地曲
(了)